なぜ筋肉なのか?
1.元々は虚弱体質でした。
私は、幼いころから大学5年生まで、1〜2か月に一度40度近い発熱を繰り返す虚弱体質でした。
友人も多く、人と会うのが好きだったので、週に8、9回食事や飲み会もありましたが、体力的には厳しい日々でした。
(「それなら予定を減らせば?」と思うのですが、、人と話して価値観を共有するのがそれ以上に好きでした。)
大きな転機となったのが、大学5年生の夏に2度インフルエンザに罹患したことです。
夏場に2回インフルエンザ、、、
この体力では、国家試験もおろか、医師になってから、当直もできないのではないか?
そう感じたとき、私は焦りと不安を抱きました。
2.コロナ禍で筋トレ未経験から大会出場を決意
ちょうどその後、世界はコロナ禍に突入。
対面授業が減り、時間に余裕ができた日々
――この時間を有効に活かそうと考え、私は筋トレを始めました。
コロナ禍が終わって、この期間があって良かったと
思える期間にしよう!
そして始めたのが、ステイホームの中で継続できる筋トレでした。
そして、ただ漠然と続けるのではなく、
最初からボディメイクコンテストを目標に設定。
「努力を形に残す」ことを自分に課しました。
3.みるみる健康になる身体
筋トレを始めて、人生が大きく変わりました。
毎朝4時というルーティン、健康的な食事や睡眠、読書や勉強などの自己投資の時間を手にしました。
人と会う頻度も大幅に減りましたが、だからこそ、一回一回の食事がとても楽しく、色彩豊かに感じるようになりました。そして、
筋トレを始めてから、一度も風邪をひいていません。
体が丈夫になるだけでなく、筋肥大に集中すると、おのずと規則正しい生活リズムになっていきます。
医師は激務です。疲れ果てた顔をして働いている人が多いのも事実です。
だからこそ、私は自分の成功体験をもとに、
激務をこなす医師こそ体力と健康的な生活習慣を獲得するためにフィットネス文化を育むべき
だと確信しました。
そして、医療者の中にフィットネス文化を育むことが、医師を救う解決策になると考えたのです。
なぜ筋肉医局は生まれたか?
4.研修医として見た医療現場の現実
私が研修医として実際に医療の現場に立ったとき、目の当たりにしたのは医療の光と影でした。
患者さんから「ありがとう」と感謝を伝えてもらえる、とてもやりがいのある仕事――それが医療の光です。
しかし同時に、影の部分も見えてきました。
ひとつが医師の激務さです。
救急対応、患者さんの急変、時間外の呼び出し――医療現場では予測できない出来事が日常茶飯事。
「働き方改革」により労働環境は改善されつつありますが、依然として夜勤や休日出勤は多く、医学生時代には見えてこなかった現実がありました。
もう一つが、医療業界の閉鎖性です。
不規則なシフトや急な残業によって、一般社会との接点は薄れ、人間関係は同職業に限定されがちで、さらに病院間を超えた交流は少なく、医師同士でも専門科を越えたつながりは希薄でした。
私はある疑問を抱くようになりました。
「患者さんは医療者が救うけれど、
医療者は誰が救うのだろうか?」
働き方改革や政策的支援による改善は進んでいる。しかし、現場の意識や文化が変わるには長い時間がかかります。
だからこそ、今この瞬間に、自分たちで医療従事者を笑顔にする仕組みをつくれないかと考えました。
5.サードプレイスとしての意義
答えは、サードプレイスを提供することでした。
地方での研修医時代、病院近くのタイ料理屋が私の心の拠り所でした。
そこには毎晩のように、医師や看護師、多職種の方々が集まっていました。
職種や専門科を超えた医療従事者が、立場を離れて語り合い、笑い合う場所
――「そこに行けば誰かに会える」という安心感がありました。
激務で一般職の方々とはなかなか接点や会う時間も捻出できない医療従事者。
しかも病院・診療科・職種を跨いだ交流がほとんど無い医療者従事者こそ、病院の外のサードプレイスが大切なのだと、私はそこで学びました。
医療従事者のQOL向上には、同じ志を持つ仲間とつながり、心を休められる場所が必要です。
医療従事者が心身ともに健康であることが、医療を続けるための土台になります。
根底にあるのは、
「患者を救う人を、誰が救うのか」
という問いです。
そして、その答えが筋肉医局という居場所の創造につながりました。

